レコードは約4000枚だったと記憶。
京大のDark Blue New Orchestraだったか通称ドボンのたまり場でした。
カウンターとテーブル席が6つくらいの広さ。黙って聞くもよし、会話を楽しむもよし、演奏中のレコードのジャケットやライナーノーツは自由に見れるし、リクエストもOK。ジャズに関する初歩的な質問にも親切に応えてくれました。スイングジャーナルとか専門誌からビッグコミックまであって、リラックスしてジャズが楽しめる居心地の良い店でした。
1970年代の終わりから80年初頭にかけて通いました。
ここで今日まで続くたくさんのことを仕込んだように思います。
ありがとう。マッチを見て幸せな気持ちになりました。
レコードは約4000枚だったと記憶。
京大のDark Blue New Orchestraだったか通称ドボンのたまり場でした。
カウンターとテーブル席が6つくらいの広さ。黙って聞くもよし、会話を楽しむもよし、演奏中のレコードのジャケットやライナーノーツは自由に見れるし、リクエストもOK。ジャズに関する初歩的な質問にも親切に応えてくれました。スイングジャーナルとか専門誌からビッグコミックまであって、リラックスしてジャズが楽しめる居心地の良い店でした。
1970年代の終わりから80年初頭にかけて通いました。
ここで今日まで続くたくさんのことを仕込んだように思います。
ありがとう。マッチを見て幸せな気持ちになりました。
情報と思い出を提供いただき有難うございます。
やはり京大生の溜まり場として皆さん通っていたのですね。
お話の端々からお店の自由な雰囲気を感じられます。
マッチ画像ひとつが思い出の縁となれば幸いです(^^)
京大農学部近くの管球アンプを鳴らす店。
客は京大学生で深夜まで賑わっていた。
「カエルさん」というメガネの気のいいオーナーだった。50年代60年代のモダンジャズ中心だが、たまに
ビッグバンドもかかっていた。
学生時代、バンドの練習終わりに仲間と毎日のように
行っていた。いい店だったな。
情報有難うございます。
京大生の客層が多かったのですね。昔は学生の溜まり場として賑わっていたんでしょうね。