(りゅうがどう)
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高知県香美郡土佐山田町
(全長4000m 観光部分1000m) WEB
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龍河洞といえば、日本の鍾乳洞の中でも古くから知られた有名な鍾乳洞で、秋芳洞、龍泉洞と並んで日本三大鍾乳洞ともいわれています。
今ではこれらより遥かに大きな鍾乳洞が全国に見つかっていますが、洞穴探検や研究の黎明期には洞穴探検のメッカのような存在でもありました。
それというのも、日本の洞穴学とケービングの元祖である山内浩氏が探検して世に知らしめ、保存と一般公開に努めた功績が大きいのです。
また、2000年以前の古代人の洞穴遺跡が発見されている面でも有名です。
というわけで、クラシックな観光洞穴の中でもはずせない龍河洞を見るために、1泊2日で初めての四国旅行へと出かけることに。
東京から高松へ飛び、空港でレンタカーを借りて金比羅参り、大歩危小歩危見物をして祖谷のかづら橋を見て祖谷温泉泊。
翌日、山越えをして龍河洞へ行き、高知から帰るというハードスケジュールである。
龍河洞には、一般公開していない照明のないルートをガイドがついて案内する「探検コース」というのがあり、当然これを予約していたのだが、欲張ったハードスケジュールが祟り、残念ながら時間に間に合わなくて参加できなくなってしまいました。
この鍾乳洞は迷路状に繋がったおおむね水平洞ですが、水流に沿って登ってゆくかたちになり、滝を登ってゆくルートになっています。
まさに初期の探検では滝の突破が核心となったようです。
そのため難関突破となった滝は「記念の滝」と名づけられ、脇に探検記念碑が立っています。
このあたりは「入水鍾乳洞」の前半ルートにちょっと似ています。
洞窟全体として鍾乳石や石筍などの生成物も豊富で見ごたえのある鍾乳洞ですが、前半は水流沿いの登り、中盤はおおむね水平で狭い生成物の多いルート、後半は大きな空間の大回廊という感じになっています。
古くからの観光洞としてはよく保存されていて、解説員(兼見張り?)の人が洞内各所に控えているというのも地元の努力が見られます。
この洞窟で他に無いユニークな見ものとして有名なのが「神の壷」。
2000年以上前の古代穴居人が置いていった壷が、長い年月によって鍾乳石に半分埋まった形で保存されているもので、なかなか神秘的な感じがします。
これを再現できるかどうか、昭和12年に置かれた壷が現在60年以上たって岩にくっつきかけています。
もう200-300年もたつと埋まり始めるのかもしれません。
夏の南国・土佐の強烈な日差しの下、歴史ある鍾乳洞で涼をとれてなかなか良い旅となりました。
2005 by 猫仙人
古くからの観光地らしくお土産屋の連なる道を抜けて、急な石段を登ると洞口がある。
脇にはエスカレーターも作られている。
最初は小さな水流沿いに続く洞内。
思ったより規模がすごく小さい洞窟のような感じで何だかやや拍子抜け。
わりあい単調な水流沿いのルートをしばらく行くと出てくる「雲の掛橋」。
昔の水流で侵食された跡のようだ。
「架橋」が正しいのでは?
垂直に落下する飛龍の滝。
長いはしごを掛けない限り絶対登れない。
記念の滝。
雨不足が続いていたせいか水量は少ないが高さ11mで洞内最大。
初探検に成功した山内氏は、特製折りたたみ梯子で突破した。
これが「冒険コース」の入り口。
竜宮殿付近から神の壷付近までのショートカットルートになっている。
ガイドツアーに申し込まないと入れない。
玉簾の滝。
このへん一体は天井が高く、各種2次生成物の宝庫である。
洞内でも一番見ごたえのある一帯が、この万象殿近辺。
急坂を登りきると峠越えとなり大回廊となる。
感動的な雄大な洞内景観が見られるのだが、蝙蝠生息保護のため照明が規制されていて写真が撮れない。
これが有名な「神の壷」。
わざと作ったとしか思えないような偶然の産物。
まさに神の作った作品である。
こちらは昭和12年から製造開始の神の壷2世。
60年以上の歳月で確かに石灰が沈着してきているが、本当の「神の壷」になるには現代人十数世代が神や仏になる時間が必要かもしれない。