いずれアヤメかカキツバタ(2)

10293653_640647656026508_474383962179929572_o

ハナショウブ、アヤメ、カキツバタの見分けが、以前話題になりましたが、今回は葉の写真を入手しましたので、葉の違いを見てみたいと思います。
花が咲いていなくても、または花の色や柄によって見分けが難しい場合に、葉によって見分ける方法があります。

10329668_640648102693130_5388749523304876280_o

10321746_640648519359755_3672564883284307885_o

遠めには、ハナショウブ、アヤメ、カキツバタ、そしてショウブは、どれも似たような葉でぱっと見にはまず判りません。
しかし、手にとってその表面を見ると、若干違いがあるのです。
それは、細長い葉の中心に盛り上がる主脈があるかないかということです。

すなわち、ハナショウブ=主脈がはっきりある。アヤメ=主脈が少し出ている。カキツバタ=主脈が無い。ショウブ=主脈がはっきりある。
アヤメは陸生であるから、同じ湿地中にあって一番わかり難いハナショウブとカキツバタの違いは葉の主脈の有無で判るというわけです。
ただ、ハナショウブとショウブ(サトイモ科)は、葉がそっくりだから同じ名前になったわけですから、もし同じような場所に生えて花がないときだったら、見分けが難しいでしょうね。

ハナショウブの葉 主脈がはっきり入っている

ハナショウブの葉
主脈がはっきり入っている

アヤメの葉 主脈はあるが盛り上がりがすくない

アヤメの葉
主脈はあるが盛り上がりがすくない

カキツバタの葉 主脈がなく平たい

カキツバタの葉
主脈がなく平たい

ショウブの葉(菖蒲湯のショウブ) 主脈がはっきり有る

ショウブの葉(菖蒲湯のショウブ)
主脈がはっきり有る

トトロの木?

10177426_607332169358057_9171057279185352784_n

「となりのトトロ」後半で印象的なシーンのひとつ、さつきとメイが、お母さんの入院している「七国山病院」の病棟の窓の外から病室を覗いているところ。
二人が木の枝に腰掛けているシーンのモデルになったのがこの木という説があります。
昭和のにおいがしていた古い入院病棟は、去年全て建て替えられましたが、木は前のまま残され病棟との位置関係もほぼ同じです。
東村山の「八国山」のふもとの某病院ですが、噂は本当でしょうか。

このシーンです

このシーンです

このシーンです

このシーンです

アゲハの吸水

アゲハの吸水

アゲハの吸水

梅雨時のある日、菖蒲花盛りの北山公園のあぜ道でナミアゲハがたくさん飛んでいた。
畦の一角にかたまって群れていたが、よく見ると浅い水溜りで吸水しているようだ。
雨もようで、このような水溜りはあちこちにあるのだが、この一角にだけ飛んでは戻って群れているのはどういう理由だろう。
何かこのへんの土だけ塩分が多いとか?
さては、犬がおしっこしたか?

いずれアヤメかカキツバタ

[metaslider id=191]

北山公園 菖蒲園

北山公園 菖蒲園 (6月)

「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉は子供のころから知っていたが、アヤメやショウブはみんな似たようなものと思っていた。

東村山市のちょっとした名所となっている、北山公園の花菖蒲園は、まさに八国山の南麓の水田跡に造られていて、季節になるとツアーで見物に来る人もいるようだ。
市の広報によると、220種類8千株10万本というというから、都内にいくつかある花菖蒲園の中でもかなりな規模である。
さて、ここに植えられているのは「ハナショウブ」か「カキツバタ」で、「アヤメ」は、このような水田のようなところにはなく、陸上に生えるものだそうである。
では、いわゆる「菖蒲湯」の「ショウブ」は?というと、菖蒲は花菖蒲とは全く別の植物である。と、調べてはじめて知った。

つまり、「ハナショウブ」も「カキツバタ」も「アヤメ」も、アヤメ科アヤメ属で、これらは同じようなものである。

しかし、「ショウブ」は、サトイモ科の植物で花も全く違う目立たないものである。
もし仮に、北山公園の花菖蒲の葉っぱを盗んでいって風呂に入れても「ショウブ湯」にはならないのである。

「カキツバタ」は「ハナショウブ」のマイナー版のようなものらしい。
在原業平の有名な歌、「から衣 きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ」に詠み込まれているということしか大きなトピックスは無い。

ところが、さらに訳の判らない記述を発見。

・古くは「あやめ」の名はサトイモ科のショウブを指した語で、現在のアヤメは「はなあやめ」と呼ばれた。
・古くは現在のアヤメ科のアヤメではなく、ショウブを指して「あやめ」と呼んでいた。

つまり、昔の人も「アヤメ」のたぐいと「ショウブ」をかなりごちゃごちゃにしていたらしいのだ。

あー、ややこしい。

観光客でにぎわう菖蒲園(6月)

観光客でにぎわう菖蒲園(6月)

ちなみに、これら、「アヤメ」「ハナショウブ」「カキツバタ」を簡単に見分ける方法がある。
品種も多いので例外もあるのだろうが、花の付け根部分にある斑紋で見分けられるという。

すなわち、「アヤメ」はその名の由来する「文目模様」といわれる網目の柄になっている。
「ハナショウブ」は、この部分が無地の黄色い紋になっている。
「カキツバタ」は、この部分が無地の白い紋になっている。

前述のように、「アヤメ」は生える場所が陸上であるから、覚えておけばすぐ判る。
だが、あとの二種は場合によっては明確な区別が難しいかも。

「いずれがハナショウブかカキツバタ」

ハナショウブ

ハナショウブ


これはハナショウブ。花のつけねが黄色い。

ハナショウブ

ハナショウブ


これもハナショウブ。

カキツバタ

カキツバタ


これはカキツバタ。花のつけねが白色。

アヤメ

アヤメ


これはアヤメ。花のつけねが網目模様。生えてるのが陸上。


八国山の謎の鳥声

東村山市・八国山の林で異様に響き渡る複雑な鳴き声の鳥。
オオルリのようでもありキビタキのようでもあり、サンコウチョウに似た部分もあり・・・。
しかし、そのどれでもない。
ものすごく通る声で、こんな声の鳥が野鳥の図鑑や資料に見あたらないとはどういうことか、と調べていくと・・・
その正体はおそらく「ガビチョウ」。
中国からペット用に輸入され逃げて帰化した外来種。
日本の侵略的外来種ワースト100選定種といわれる、悪名高き鳥のようである。

元来は中国南部から東南アジア北部にかけて広く生息する鳥で、中国ではポピュラーな飼い鳥で、鳴き声を競わせるらしい。
見かけは意外と地味な鳥で、眼の回りに眉毛を描いたような模様があるので「画眉鳥」といわれるそうな。

まるで○○のような、というのももっともで、この鳥は他の声のよい鳥の囀りを真似るらしい。
本家の囀りを真似てもっと大きな通る声でアピールする。
このことに生態学的などんな意味があるのだろう?

ガビチョウ

ガビチョウ(ウィキメディア・コモンズより)

後日譚
前に、二つ池で水浴びをする鳥を遠くから写真に撮ったことがあったが、小さくしか写っていないので何の鳥か判らないだろうと、放ってあった。
ふと思いついてこの写真を拡大して見てみると、まさしくこれが「ガビチョウ」だった。

二つ池で水浴びをする鳥は「ガビチョウ」だった!

二つ池で水浴びをする鳥は「ガビチョウ」だった!

八国山の高さ?

国土地理院マップ

国土地理院マップ

八国山の高さは、多くのパンフレットや説明には、一般に標高89.1mとされているものが多いようです。
しかし、八国山は、全体が緩やかな丘陵であり、ここが山頂であるといったはっきりした場所があるわけではありません。
実際には最高どれくらいの高さなのでしょう。

89.1
89.1mというのは将軍塚近くにある三角点の高さで、地形図に出ています。


99
2万5000分の1の地形図を見ると、西のほうの西武園に近い方には、99mの標高点表記があります。

100
また、地形図の等高線を追っていくと、北山公園北方には一部等高線が100mを越えている高い部分があります。

100.8

国土地理院の最新データから、一番詳細な地図をしらべたところ、この等高線の場所に、100.8mという測量点が存在していました。
やはり、ここいらが一番高い地点と思われます。


どうやら、八国山の最高点はおよそ101mということでよいかと思われます。

八国山を空からみる(google)

八国山を空からみる(google)


そして、この地点を探して実際に行ってみると、こんな感じでした。

久米川古戦場

久米川古戦場

久米川古戦場の碑


久米川古戦場

久米川古戦場


有名な小手指原の合戦で勝利した新田義貞軍は、その勢いでこの八国山に陣を張り、現将軍塚から指揮をとり鎌倉幕府軍への攻撃を開始した。
小手指原で敗れた鎌倉幕府軍には新田軍の優勢を撥ね返すことはできず、そのまま押されて多摩川の分倍河原まで撤退することとなる。
この石碑のある公園から、ほんの2-300m裏の丘が「将軍塚」である。

また、近くには新田軍が勢揃いしたといわれる「勢揃橋」、勝利した軍勢が通ったと伝わる「勝陣場橋」、「将陣場橋」がある。

元弘の板碑跡

元弘青石塔婆所在跡

元弘青石塔婆所在跡

徳蔵寺板碑保存館に安置されている元弘の碑には、小島法師が著したといわれる「太平記」・・・(1370年頃加筆完成)の記述を裏づけるように、新田の将士、斉藤氏3人の討死者名が刻まれ戦史を実証している板として有名である。

国の重要文化財となっている板碑は、もと八国山中腹の永春庵にあったが、庵と共に、徳蔵寺に移された。

この石碑は、戦死者の供養を託された永春庵(元来板碑があった)の地を顕彰するため、当時の埼玉県吾妻村史蹟保存会によって昭和10年に建てられたもの。
これが「板碑」なのではありません。