八国山の高さ?

国土地理院マップ

国土地理院マップ

八国山の高さは、多くのパンフレットや説明には、一般に標高89.1mとされているものが多いようです。
しかし、八国山は、全体が緩やかな丘陵であり、ここが山頂であるといったはっきりした場所があるわけではありません。
実際には最高どれくらいの高さなのでしょう。

89.1
89.1mというのは将軍塚近くにある三角点の高さで、地形図に出ています。


99
2万5000分の1の地形図を見ると、西のほうの西武園に近い方には、99mの標高点表記があります。

100
また、地形図の等高線を追っていくと、北山公園北方には一部等高線が100mを越えている高い部分があります。

100.8

国土地理院の最新データから、一番詳細な地図をしらべたところ、この等高線の場所に、100.8mという測量点が存在していました。
やはり、ここいらが一番高い地点と思われます。


どうやら、八国山の最高点はおよそ101mということでよいかと思われます。

八国山を空からみる(google)

八国山を空からみる(google)


そして、この地点を探して実際に行ってみると、こんな感じでした。

久米川古戦場

久米川古戦場

久米川古戦場の碑


久米川古戦場

久米川古戦場


有名な小手指原の合戦で勝利した新田義貞軍は、その勢いでこの八国山に陣を張り、現将軍塚から指揮をとり鎌倉幕府軍への攻撃を開始した。
小手指原で敗れた鎌倉幕府軍には新田軍の優勢を撥ね返すことはできず、そのまま押されて多摩川の分倍河原まで撤退することとなる。
この石碑のある公園から、ほんの2-300m裏の丘が「将軍塚」である。

また、近くには新田軍が勢揃いしたといわれる「勢揃橋」、勝利した軍勢が通ったと伝わる「勝陣場橋」、「将陣場橋」がある。

元弘の板碑跡

元弘青石塔婆所在跡

元弘青石塔婆所在跡

徳蔵寺板碑保存館に安置されている元弘の碑には、小島法師が著したといわれる「太平記」・・・(1370年頃加筆完成)の記述を裏づけるように、新田の将士、斉藤氏3人の討死者名が刻まれ戦史を実証している板として有名である。

国の重要文化財となっている板碑は、もと八国山中腹の永春庵にあったが、庵と共に、徳蔵寺に移された。

この石碑は、戦死者の供養を託された永春庵(元来板碑があった)の地を顕彰するため、当時の埼玉県吾妻村史蹟保存会によって昭和10年に建てられたもの。
これが「板碑」なのではありません。