呪師に成る/イスクトランへの旅

呪師に成る/イスクトランへの旅
 カルロス・カスタネダ 真崎義博訳
 二見書房  昭和49年(1974)

呪術師ドン・ファンシリーズ第3弾。
カスタネダはさらに「知者」への道を歩み続ける。
前著の「見る」ことは、幻覚性植物を使いこなすテクニックではなく、世界を認知するチャンネルを切り替え、意味のシステムをいったん破壊して再構築しなければならない。

そのような修練を重ねる中で、さらにいろいろなテクニックが登場してくる。
「履歴を消す」「しないこと」「力の輪」、そして「世界を止める」。
このへんまでくると、呪術師との会話も次第に哲学論の様相さえ帯びてくるのだが、同時に最初にあった民俗学研究はどこか吹っ飛んでしまっている。
要は著者が観察者から実践者へ変容してゆく過程なのである。

ただし、実践者としての著者の道は、ここからようやく始まったところであり、「イクストランへの旅」はこれから始まるのであった。

呪術の体験/分離したリアリティ

呪術の体験/分離したリアリティ
 カルロス・カスタネダ 真崎義博訳
 二見書房  昭和49年(1974)

センセーショナルな第1作で呪術師ドン・ファンと出会い、分かれたカスタネダは運命的な再会をする。
そして前回とは比較にならないほどの神秘体験の深みに足を踏み入れて行くことになる。
この書では「見る」ということの訓練が執拗に繰り返される。

西欧文化のコンテクストでいけば単に薬物使用による幻覚体験ということで、要は「ラリってみました」というだけになってしまうのだが、呪術師への弟子入りという形での体験ゆえに、「戦士として生きる」ことのリアリティが切実に迫ってくるのだ。

若かったこのころ、「知者」になりたい!と、ややミーハーに思ったものである (^^;

呪術/ドン・ファンの教え

呪術/ドン・ファンの教え
カルロス・カスタネダ 真崎義博訳
二見書房  昭和47年(1972)

カウンター・カルチャー(対抗文化)を語るうえで欠かせない、エポックメイキングな本。
著者と内容の真偽の議論は尽きないが、現実の真偽はともかく、アメリカのそしてアメリカを師匠としつづけてきた日本の、精神構造に与えた影響は大きい。

大学時代に一般教養の先生の薦めで知ったのだが、自然科学以外のものの見方、世界の見え方はひとつではないことを思い知らされるシリーズである。
これはシリーズとなる第1作だが、著者自身これらがシリーズ化してゆく(体験が長く深くなる)ことにまだ気づいていないため、 今はまだ人類学研究の本でしかない側面をもっている。
そのため、物語的には一連のシリーズの中ではあまり面白くないともいえる。

「わしにとっては心のある道を旅することしかない、どんな道にせよ心のある道をだ。」

新版・登山技術

新版・登山技術 岡部一彦
山と渓谷社 昭和47年

「丹沢ゴキブリ衆」など特異なキャラクターで各種山岳著をものされている、RCC2の重鎮、岡部氏の技術書。

高校時代に入手し、その当時でも具体的内容は古くなっていたが、たいへん参考になったし隅々まで読んだ。
何よりも岡部氏一流の道具哲学が随所に痛快に記されていて面白い。
新らしもの好きや半可通に対する痛烈な批判的記述や、逆に「上には上がいる」式のベテランの話など、何か武士道のような発想が愉快である。

ある意味で、後年のカタログ文化的な解説書と正反対とも見える本である。
しかし反面この本も、道具の案内では具体的商品名や価格が出ているなどカタログ的でもある。
結局のところ、メーカーなどに気を使わず自分の思うままに書けるかどうか、著者のキャラクター性によるのだろう。

道具の内容や一部技術など、今から見ればかなり古くなっているが、今読んでもなかなか面白い。

バックパッキング入門

バックパッキング入門 芦沢一洋
山と渓谷社 昭和51年(1976)

今は亡き芦沢一洋氏によるエポックメイキングな本である。

この頃まで、日本で本格アウトドアといえば即ち登山であり、それもフランスを中心とする、いわゆるアルピニズムが中心だった。
というより、「アウトドア」なる言葉さえ無かった。

ちょうどこの本が出る数年前から、日本にもアメリカ式の登山やキャンプの用品が入ってきていて、ヨーロッパ一辺倒から変わりつつあった。
シュイナードのクライミング用品、ケルティーのパックフレーム、ジャンスポーツのドームテント、シェラデザインのマウンテンパーカなど、それまで無かった感覚の用品が次々と現れて従来の「山屋」を戸惑わせたのである。

同時に「バックパッキング」なる概念が入ってきて、登山を包括しつつ従来の登山と違う、といってワンダーフォーゲルなどとも違う徒歩旅行の形が徐々に認められるようになってきたのだ。
ただし、コマーシャルベースでのバックパッキングは、用品を中心に形としてのスタイルは普及したものの、その本質となった哲学までは普及したとはいい難い。

ベトナム反戦、ビートニクから尾をひくヒッピー、コミューン、カウンターカルチャーの一連の流れの中にそれは現れるべくして現れてきたのだが、日本ではパックフレームなどのギアスタイルの流行に留まった感がある。
その本質の概念の普及が見えだすのは、日本ではむしろバブル崩壊後の90年代ではなかろうか。

この本は見事にそれらの「モノ」の本である。
アメリカ流を徹底した、物質文明の真髄のようなカタログ本であり、また徹底的な横文字の羅列に辟易された面があるが、それもアメリカの概念であるバックパッキングを理解するうえで必要と著者は思ったのであろう。

その成果の一面は見事に現れて、その後の日本の登山用品カタログは様変わりしてしまったのだ。
ヨーロッパ言語が殆どを占めていた用語も英語主体になってきた。
「アウトドア」という言葉と概念も普及した。
自然や環境に対する接し方も変わってきた。

「モノ」から入る哲学。
世界一の物質文明の超大国ならではのアプローチだったといえるのではないだろうか。