山の本 (白山書房)

山の本 -白山書房-
創刊号:1992年5月号。

山の本 創刊号

ビジュアル全盛、オートキャンプ全盛の中で創刊された、モノクロで殆ど文字だけでできた「山歩きの読本」。

紀行、エッセイ、座談、紀行ガイドで構成され、山と山歩きの話題だけに絞られた潔さで、定着した読者層が多そうである。

巻末の執筆者紹介では、有名人も無名の人も常連も同列に扱われ、いかにも読者がそのまま参加して作られる本という感じで、 山と文章に関する、開かれた同人誌といった趣である。

「新ハイキング」にも似ているが、もっと幅広い内容にして総合的に開かれた味のある本だ。

ネット全盛になってから「ヤマレコ」をはじめ、山行記録のWEB媒体はたいへん多く存在するが、今となっては紙+文字媒体でこれをやるというのは逆にとてもハードルが高いだろうと思われる。

この路線を守り続ける限り、きっといつまでも続く雑誌であろう。


30年以上も続いてきましたが、2023年春号をもって休刊。
白山書房自体が2024年8月に廃業・解散となりました。

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GOODY (ベネッセ)

Goody(グッディー) -ベネッセ-
創刊号:1996年5月号。

グッディ創刊号

Tepeeに遅れること1年後、あのベネッセ・コーポレーションが創刊したアウトドア誌。

創刊発表プロモーションを赤坂プリンスホテルで大々的に行ない、創刊からいきなりビーパルを上回る発行部数でぶつけるという、ものすごい販売戦略だったが、やはりビーパルにはかなわかった。

創刊編集長の駒崎さんは、家族で世界一周をしたヨットマンで、温厚ないい方でした。

ベネッセらしく、読者サポーターによる情報レポートなどを企画したり、独自のグッズの通信販売をやったり、ホームページでも読者との情報交換をしたり、そういった面では他社のまねできない独自性を出しつつあった。
他誌との差別化のためか、「アウトドア」という言葉使わず、「オープンエア・マガジン」と言っていた。

しかし、ちょっと大衆向けを意識しすぎてコアな情報が足りなかったような気がする。

1997年7月号から編集長が変わり、首都圏にターゲットを絞った情報誌としてリニューアル。
だが、これも結局無期休刊となった。

GOODY リニューアル版 もはやアウトドア誌ではない

Tepee (集英社)

Tepee(ティピー)  -集英社-
創刊号:1995年5月号。

Tepee 創刊号

雑誌に強い集英社がビーパルに対抗して作ったような総合アウトドア誌だが、この路線はすでにビーパルが牙城を築いているし、 なかなか独自性を出すのは難しいところだ。
そのかわり、うまくまとめればそこそこのものはできるわけだが・・・

この創刊号はとりあえずビジュアルも多用し、グッズのカタログページも作り、野田知佑氏の対談を起用し、イヴォン・シュイナード氏からのメッセージなど、内容も盛りだくさんでさすが大手なのだが、何となくまとまりが良すぎて 個人的にはあまり買いたいという気は起きなかった。

それでもしばらく後の号では、かなり本も厚くなって情報量も増え、ビーパルやアウトドアとは感じの違う誌面作りで、 モノ志向の部分やいろんな方向で厚みが増し、独自のスタイルが出来上がってきたという感じだったのだが。

インターネットHPも当時としてけっこう充実してたし、それなりに安定していたようだったが、結局廃刊になってしまった。

クライミング・ジャーナル (白山書房)

クライミング・ジャーナル -白山書房-

その名の通り、クライミングの専門雑誌。
創刊号:昭和57年4月号。(1982)

編集者として遠藤甲太氏が参加している。
特集は「ハード・フリー・クライミング」で、巻頭インタビューに山崎祐和さんが若き俊英として出ている。(若い!(^^))

記録記事で同氏のグランドジョラス北壁、須田義信氏の甲斐駒・篠沢七丈瀑アイスクライミングなど、 技術記事で中川芳郎氏のプロテクション・テクニック、橋本覚氏のボディ・トレーニングなど。

白山書房らしい、「ジャーナル」の名がふさわしい誌面作りだが、約10年、53号まで続いた後廃刊になってしまった。

・・・そういえば、ほんの一時、ここのアウトドア雑誌もあったなあ・・・

Be-Pal (小学館)

Be-Pal (ビーパル) (小学館)

ビーパル 創刊号

日本のアウトドア雑誌のスタイルを変え、ひとつの形を作ってしまった雑誌だ。
創刊号は1981年7月号。

当時、小学館から新しいアウトドア雑誌が出るという噂を聞いて、期待して待ち構えるようにして手に取った創刊号を見てびっくり。
これがアウトドア雑誌か!?

Outdoorの硬派なイメージの微塵もない、その表紙!
山や森の風景写真、またはバックパッキングやクライミングやカヌーのアクティブな写真をイメージしていた眼に飛び込んできたのは、 ほとんど何の脈絡もない、水着のおねえちゃんの、しかも顔さえ出てない胸だけ強調した写真で、Playboyか平凡パンチかという 斬新な、または異常な表紙だった。
ちなみにおねえちゃんは第3号でやっと顔が出た (^^)

それまでアウトドアといえば、伝統的登山アルピニズムの流れか、またはソーローやビート的文化などの流れをくむアメリカの哲学的なバックパッキングムーブメントを意識したものか、という2大勢力だったのだが、ここは違った。
こういう、独特の「軽さ」はそれまでのアウトドア系雑誌には見られないものだった。

記事内容にしてからが、キャンピングカーで埋立地で読書を楽しむとか、公園でゴム動力飛行機を飛ばそうとか、クライミング用品を駆使して木登りをするとか、スーツの下にフライベストを着て会社帰りに釣りをするとか、およそ従来考えもしなかったバカバカしいような記事がたくさんあって、当時は理解しがたいものがあった。

それと、そういった記事の合間に必ず出てくる小物グッズの価格付き紹介、細かいコラムを集めたページの作りなど、 どう見ても当時画期的だった、カタログ・コラム雑誌「ポパイ」の手法をアウトドアにも取り入れたようなやり方だったように思われる。

従来の硬派登山人間にとっては、恐ろしく散漫で軟弱な雑誌としか言いようのないものだったが、敷居の低いその世界はたちまち多くのファンを生み、業界No.1雑誌になってしまったのだ。

アウトドア、キャンプ、アウトドアファッションがこんなに一般化したのは時代の流れだが、Be-Palはそういったアウトドアの大衆化の流れと完全に一体化して、またスタイルを作りながら現在に至ったのだろう。
この流れの元祖となり、一方の歴史を作ってきたことで、その後どんなに多くの雑誌が出てきても、みんなこの雑誌のエピゴーネンに 見えてしまう宿命が一時期はあったようである。

きっと、アウトドア雑誌の歴史の中では、OutdoorとBe-Palの2誌は永遠に本家と元祖でありつづけるのだろう。

ビーパル 2号
ビーパル 3号

洞穴学ことはじめ

洞穴学ことはじめ
 吉井良三 岩波新書 1968年

洞穴学ことはじめ ジュール・ベルヌの「地底旅行」を読んで以来、洞窟に興味があった。

実際に行ったことは無かったが、中学のとき友人達とハイキングで日原鍾乳洞に初めて行った。
殺風景な洞内にはあまり感動しなかったが、そのころ偶然見つけたこの本にはすっかりはまった。

まだケービングとかスペレオロジーといった言葉がポピュラーで無かった(今でもか?)このころに、すごく新鮮な書だった。
というか、今から見れば古き良き時代に、自然科学者のロマン・探検家のロマンが純粋に満ち溢れていた。

洞窟に限らず、自然科学のもつロマンが輝いていた時代だったのかも。
現代では少年や若者の理科離れがよく言われるが、こういう本のワクワク感を感じないのだろうか。

これは私がアームチェア・スペレオロジストになるきっかけの書であった。
本格ケービングに憧れ続けながらもそのまま年をとってしまったが、今もたまに観光洞でわくわくしたりしている。

著者は京大の生物学の教授だが、エッセイストとしても素晴らく楽しい文章で、秋吉台や竜泉洞、安家洞などの初期探索のくだりなど淡々としながらも情熱が伝わってくる。

日本の近代洞窟探検の歴史の一端もよく判る、洞窟探検と生物学に興味のある人には絶対オススメの書。

新版・登山技術

新版・登山技術 岡部一彦
山と渓谷社 昭和47年

「丹沢ゴキブリ衆」など特異なキャラクターで各種山岳著をものされている、RCC2の重鎮、岡部氏の技術書。

高校時代に入手し、その当時でも具体的内容は古くなっていたが、たいへん参考になったし隅々まで読んだ。
何よりも岡部氏一流の道具哲学が随所に痛快に記されていて面白い。
新らしもの好きや半可通に対する痛烈な批判的記述や、逆に「上には上がいる」式のベテランの話など、何か武士道のような発想が愉快である。

ある意味で、後年のカタログ文化的な解説書と正反対とも見える本である。
しかし反面この本も、道具の案内では具体的商品名や価格が出ているなどカタログ的でもある。
結局のところ、メーカーなどに気を使わず自分の思うままに書けるかどうか、著者のキャラクター性によるのだろう。

道具の内容や一部技術など、今から見ればかなり古くなっているが、今読んでもなかなか面白い。

バックパッキング入門

バックパッキング入門 芦沢一洋
山と渓谷社 昭和51年(1976)

今は亡き芦沢一洋氏によるエポックメイキングな本である。

この頃まで、日本で本格アウトドアといえば即ち登山であり、それもフランスを中心とする、いわゆるアルピニズムが中心だった。
というより、「アウトドア」なる言葉さえ無かった。

ちょうどこの本が出る数年前から、日本にもアメリカ式の登山やキャンプの用品が入ってきていて、ヨーロッパ一辺倒から変わりつつあった。
シュイナードのクライミング用品、ケルティーのパックフレーム、ジャンスポーツのドームテント、シェラデザインのマウンテンパーカなど、それまで無かった感覚の用品が次々と現れて従来の「山屋」を戸惑わせたのである。

同時に「バックパッキング」なる概念が入ってきて、登山を包括しつつ従来の登山と違う、といってワンダーフォーゲルなどとも違う徒歩旅行の形が徐々に認められるようになってきたのだ。
ただし、コマーシャルベースでのバックパッキングは、用品を中心に形としてのスタイルは普及したものの、その本質となった哲学までは普及したとはいい難い。

ベトナム反戦、ビートニクから尾をひくヒッピー、コミューン、カウンターカルチャーの一連の流れの中にそれは現れるべくして現れてきたのだが、日本ではパックフレームなどのギアスタイルの流行に留まった感がある。
その本質の概念の普及が見えだすのは、日本ではむしろバブル崩壊後の90年代ではなかろうか。

この本は見事にそれらの「モノ」の本である。
アメリカ流を徹底した、物質文明の真髄のようなカタログ本であり、また徹底的な横文字の羅列に辟易された面があるが、それもアメリカの概念であるバックパッキングを理解するうえで必要と著者は思ったのであろう。

その成果の一面は見事に現れて、その後の日本の登山用品カタログは様変わりしてしまったのだ。
ヨーロッパ言語が殆どを占めていた用語も英語主体になってきた。
「アウトドア」という言葉と概念も普及した。
自然や環境に対する接し方も変わってきた。

「モノ」から入る哲学。
世界一の物質文明の超大国ならではのアプローチだったといえるのではないだろうか。