呪術と夢見/イーグルの贈り物
カルロス・カスタネダ 真崎義博訳
二見書房 1982年
第6作(日本第5作)の完結編だが、ここに至って、カスタネダは完全に呪術師ドン・ファンの後継者とまでなってゆく。
多くの他の弟子たちとの軋轢や連帯や衝突の中から、さらに奥深い呪術の世界に入ってゆく。
夢見の技術、意識の右側と左側、など、哲学的にはさらに整理されてきたので、ある意味判りやすくなってはきた印象がある。
ここでの呪術とは、ある意味で無意識の領域をコントロールする技術なのだ。
ここに至って物語はすでにカスタネダの自伝となっているのだが、振り返ってみるとこれはすでに「神話」である。
現在一般に多く受け入れられている「指輪物語」や「スターウォーズ」にまで通底する主題、個人の自分探しと成長の物語である。
老賢者の指導のもと、非日常の力と技を身に付けるというストーリーは今やゲームソフトの定番でもある。
そういった、超古典的な「常識」を現代合理主義のなかに引き戻し定着させたのが、一時を画し、アクエリアスの時代を期待させたカウンターカルチャームーブメントの置き土産であり、逆にその程度のものに終わったということなのかもしれない。
ある意味では結果的には世界の価値観の画一化を担っているのがこれらの「置き土産」であり、意識の拡大や戦士として生きることとは程遠い表層だけが世の中に確立してしまったのかもしれない、という感が深い。
現代のアメリカを見れば歴史の退歩がよく判る。
ベトナム戦争という高い代償を払い身に付けた筈の、「オルタネイティブ」という発想は今は何処へ行ってしまったのか。
全く違う価値観がリアリティが存在するという視点は何処へ消えてしまったのか。
ああアメリカよ!という感じではある。
そして、それは新世紀に至って地球規模のグローバリズムへと繋がっていく。