GOODY (ベネッセ)

Goody(グッディー) -ベネッセ-
創刊号:1996年5月号。

グッディ創刊号

Tepeeに遅れること1年後、あのベネッセ・コーポレーションが創刊したアウトドア誌。

創刊発表プロモーションを赤坂プリンスホテルで大々的に行ない、創刊からいきなりビーパルを上回る発行部数でぶつけるという、ものすごい販売戦略だったが、やはりビーパルにはかなわかった。

創刊編集長の駒崎さんは、家族で世界一周をしたヨットマンで、温厚ないい方でした。

ベネッセらしく、読者サポーターによる情報レポートなどを企画したり、独自のグッズの通信販売をやったり、ホームページでも読者との情報交換をしたり、そういった面では他社のまねできない独自性を出しつつあった。
他誌との差別化のためか、「アウトドア」という言葉使わず、「オープンエア・マガジン」と言っていた。

しかし、ちょっと大衆向けを意識しすぎてコアな情報が足りなかったような気がする。

1997年7月号から編集長が変わり、首都圏にターゲットを絞った情報誌としてリニューアル。
だが、これも結局無期休刊となった。

GOODY リニューアル版 もはやアウトドア誌ではない

Tepee (集英社)

Tepee(ティピー)  -集英社-
創刊号:1995年5月号。

Tepee 創刊号

雑誌に強い集英社がビーパルに対抗して作ったような総合アウトドア誌だが、この路線はすでにビーパルが牙城を築いているし、 なかなか独自性を出すのは難しいところだ。
そのかわり、うまくまとめればそこそこのものはできるわけだが・・・

この創刊号はとりあえずビジュアルも多用し、グッズのカタログページも作り、野田知佑氏の対談を起用し、イヴォン・シュイナード氏からのメッセージなど、内容も盛りだくさんでさすが大手なのだが、何となくまとまりが良すぎて 個人的にはあまり買いたいという気は起きなかった。

それでもしばらく後の号では、かなり本も厚くなって情報量も増え、ビーパルやアウトドアとは感じの違う誌面作りで、 モノ志向の部分やいろんな方向で厚みが増し、独自のスタイルが出来上がってきたという感じだったのだが。

インターネットHPも当時としてけっこう充実してたし、それなりに安定していたようだったが、結局廃刊になってしまった。

クライミング・ジャーナル (白山書房)

クライミング・ジャーナル -白山書房-

その名の通り、クライミングの専門雑誌。
創刊号:昭和57年4月号。(1982)

編集者として遠藤甲太氏が参加している。
特集は「ハード・フリー・クライミング」で、巻頭インタビューに山崎祐和さんが若き俊英として出ている。(若い!(^^))

記録記事で同氏のグランドジョラス北壁、須田義信氏の甲斐駒・篠沢七丈瀑アイスクライミングなど、 技術記事で中川芳郎氏のプロテクション・テクニック、橋本覚氏のボディ・トレーニングなど。

白山書房らしい、「ジャーナル」の名がふさわしい誌面作りだが、約10年、53号まで続いた後廃刊になってしまった。

・・・そういえば、ほんの一時、ここのアウトドア雑誌もあったなあ・・・

Be-Pal (小学館)

Be-Pal (ビーパル) (小学館)

ビーパル 創刊号

日本のアウトドア雑誌のスタイルを変え、ひとつの形を作ってしまった雑誌だ。
創刊号は1981年7月号。

当時、小学館から新しいアウトドア雑誌が出るという噂を聞いて、期待して待ち構えるようにして手に取った創刊号を見てびっくり。
これがアウトドア雑誌か!?

Outdoorの硬派なイメージの微塵もない、その表紙!
山や森の風景写真、またはバックパッキングやクライミングやカヌーのアクティブな写真をイメージしていた眼に飛び込んできたのは、 ほとんど何の脈絡もない、水着のおねえちゃんの、しかも顔さえ出てない胸だけ強調した写真で、Playboyか平凡パンチかという 斬新な、または異常な表紙だった。
ちなみにおねえちゃんは第3号でやっと顔が出た (^^)

それまでアウトドアといえば、伝統的登山アルピニズムの流れか、またはソーローやビート的文化などの流れをくむアメリカの哲学的なバックパッキングムーブメントを意識したものか、という2大勢力だったのだが、ここは違った。
こういう、独特の「軽さ」はそれまでのアウトドア系雑誌には見られないものだった。

記事内容にしてからが、キャンピングカーで埋立地で読書を楽しむとか、公園でゴム動力飛行機を飛ばそうとか、クライミング用品を駆使して木登りをするとか、スーツの下にフライベストを着て会社帰りに釣りをするとか、およそ従来考えもしなかったバカバカしいような記事がたくさんあって、当時は理解しがたいものがあった。

それと、そういった記事の合間に必ず出てくる小物グッズの価格付き紹介、細かいコラムを集めたページの作りなど、 どう見ても当時画期的だった、カタログ・コラム雑誌「ポパイ」の手法をアウトドアにも取り入れたようなやり方だったように思われる。

従来の硬派登山人間にとっては、恐ろしく散漫で軟弱な雑誌としか言いようのないものだったが、敷居の低いその世界はたちまち多くのファンを生み、業界No.1雑誌になってしまったのだ。

アウトドア、キャンプ、アウトドアファッションがこんなに一般化したのは時代の流れだが、Be-Palはそういったアウトドアの大衆化の流れと完全に一体化して、またスタイルを作りながら現在に至ったのだろう。
この流れの元祖となり、一方の歴史を作ってきたことで、その後どんなに多くの雑誌が出てきても、みんなこの雑誌のエピゴーネンに 見えてしまう宿命が一時期はあったようである。

きっと、アウトドア雑誌の歴史の中では、OutdoorとBe-Palの2誌は永遠に本家と元祖でありつづけるのだろう。

ビーパル 2号
ビーパル 3号